トシユキは、プロ野球チーム”シャークス”のスカウトだ。今、太平洋の小さな島国、レハンにいる。レハンは、人口約一万人の小さな国で、国民のほとんどが漁業に従事している典型的な漁業国だ。
30年前に、ひとりの日本人がこの国に
野球を伝えた。レハンの国民気質に合っていたのか、瞬く間に野球は人気の
スポーツとなった。
2ヶ月前、レハンに始めての本格的な野球場がオープンした。その、こけら落としにシャークスが招かれ、レハンの選抜チームと親善試合を行なった。もちろん、力の差は歴然で、試合は大差でシャークスの勝利となった。
トシユキがこの国に来たのは、スカウト活動のためである。もちろん、レハンには、現時点でプロのレベルを持った選手はいない。しかし、親善試合でみせたレハン選手の潜在能力を評価したのである。レハン選手の技術は、日本の高校野球にも及ばない。しかし、その身体能力はすばらしく、
トレーニングによっては、大化けする可能性がある。若く有望なレハンの選手を、練習生として受け入れ、日本式のトレーニングによって、一流の選手に育て上げようというのが首脳陣の考えである。
トシユキは、特に身体能力が高く、日本行きの希望が強い15才の少年ユタをスカウトした。契約を済ませ、ここでのトシユキの仕事は終了した。明日、日本に帰る。ただ、ひとつだけ、心残りがある。
(やっぱり、居なかったな。幻のサウスポー)
2ヶ月前、シャークスの若手選手が、移動中のバスから、空き地で投球をしている左投げのレハン人投手を見た。そのとき、とてつもなく速く、切れのあるボールを投げていたというのだ。離れたバスの中から、一瞬見ただけなので、自信はないということで誰も本気にはしなかったが・・。
しかし、若いとは言え、プロの選手が見たのだ。簡単に見間違う訳がない。トシユキは少し期待していた。 しかし、見つからなかった。小さな国である。野球をしている人数もたかが知れている。本当に居ればとっくに見つかっているだろう。
(帰る前に、ユタに会っておこう)
トシユキは自分がスカウトした若者の家に向かった。
ユタは漁に出ているようであった。トシユキは、海に向かった。沖に小さな舟が浮かんでいる。
「ユタだ」
上半身裸の若者が、船の上に立ちモリを構えている。
「シュッ」
若者がモリを放った。トシユキのところまで音が届くはずはないのだが、確かに空気を裂く音を聞いたような気がする。
「あの、不安定な船の上で、狙った場所に投げる。うまいものだ。遠くてはっきり判らないがスピードもとんでもない。これがレハン人の…」
そこまで言ったとき、トシユキはあることに気が付いた。
(今、左で投げていた!)
ユタは右投げのはずである。トシユキ自身が確かめた。しかし、今確かに左でモリを投げた。
「どういうことだ」
トシユキは、漁から戻ってきたユタを捕まえて聞いた。
「さっき、左腕でモリを投げなかったか?」
「レハンの人間は、みんなこっちでモリを投げる」
ユタは左手を指して、当然のように答えた。
トシユキがみたレハンの選手は、全員右でボールを投げていた。しかし、モリは全員左で投げる?
「おまえ、なぜボールは右で投げる?」
「野球ってそういうものじゃないのか?」
全てがわかった。野球がこの国に伝わったとき、ルールを教えた人間が右で投球したのだ。それを見て、右で投げるのがルールだと勘違いした、それが始まりだった。そして野球をするための道具、
グローブも右利き用のものしか用意されなかったのだろう。そのため、レハンでは野球の時はみんな右で投げるのが習慣となったのだ。
「それに…」
ユタが続けた。
「左で投げたら、打てるわけがない。野球にならない」
トシユキは呆然とした。いくら将来性期待とはいっても、プロにスカウトしたのだ。利き腕と反対の腕でボールを投げている選手を。もし、利き腕で投げたら……。
「ユタ。野球仲間を集めてくれ!」
広場に5人の若者が集まった。
「おまえたちが左でボールを投げる姿が見たい。誰か投げてみてくれ」
少年達は顔を見合わせた。
「僕が投げるよ」
一番小さな少年が言った。少年はマウンドに上がり、ミットを構えたトシユキを見た。
「投げるよ」
そう言って、少年がモーションを起こした。
グウォォーン。
うなりをあげて、ボールがミットに飛び込んだ。
(155キロ)
トシユキの目測。キレも抜群だ。
「もう一球」
そう言って、外角低めにミットを構えると、そこに寸分たがわず、ボールを投げ込んできた。幼い頃からモリを正確に投げて来た子供達だ。コントロールも完璧で当然である。
トシユキは、これほどのボールを投げる投手を今まで見たことがない。それも一番小さな少年だ。他の子はもっとすごい球を投げるのだろう。トシユキは身震いした。
(野球界に革命が起こる)
そして少年の次の一言で、更に身震いが激しくなった。
「ねえ。もうちょっと速く投げていい? 捕れる?」
何ということだ。少年は、球を受けるトシユキを案じて手加減していたのだ。
幻のサウスポーは存在した。それも大勢。
シャークスの若手選手が見たのが誰なのかはわからない。この国の誰かが、遊びで左で投げていたのを、たまたま見ただけだ。それが誰であっても、若手選手を驚かすのに充分であっただろう。
太平洋の小さな国レハン。今や、ここは農業だけの国ではない。多くの若者が、多額の
外貨を稼ぐ、世界でも有数の金持ち国家となった。